聖書: 使徒言行録15:36-40
この朝はマルコという人物に注目します。彼の母マリアはエルサレム教会を中心的に支えるひとりであり、バルナバは彼のいとこです。バルナバとパウロは最初の異邦人伝道の旅にこのマルコを連れて行きましたが、彼は途中で帰ってしまいます(使徒13:13)。理由はわかりませんがパウロは納得しておらず、再び伝道の旅に出ようとする時に、マルコを同伴しようとするバルナバと激しく対立します。自分のせいで二人が袂を分かつのをマルコはどんな思いで見ていたのでしょうか。
以前「ユースを助ける大人」について学びました。その1つは、彼らを忍耐をもって励ますことです。歓迎し、話を聞き、共に時間を過ごす。自分の失敗を含めた信仰体験を話す。奉仕を任せ、責任は大人が負う。また、祈るだけでなく祈って貰う。
マルコにとってバルナバはまさにそのような存在でした。パウロが拒否したマルコをバルナバは選び、キプロスへと出ていきます。その十数年後、パウロの手紙にマルコの名が同労者として出てくるのを私たちは発見します(コロサイ4:10、ピレモン24)。
後にこのマルコが福音書を記すのです。この福音書には不思議な記述があります。マルコ14:51-52の裸で逃げた人が誰なのか?諸説ありますがその1つはマルコ本人という説。そうであるなら彼は、あの時裸で逃げ出したような、宣教からも逃げ出すような私のためにキリストは命を捨ててくださり、救ってくださった。こんな自分も愛され、変えられ、用いられる、それを伝えたかったに違いありません。
