聖書:アモス書5:4、コリントの信徒への手紙二 3:16-18
年の終わりに改めて2025年の標語と聖句の御言葉に聴きます。「私を求めよ、そして生きよ」。預言者アモスを通して語られた主の言葉(5:4)です。そう言われたら、聖所で礼拝すればいいのだなと思いますが、直後に主は古来からの聖所へ行くなと命じます。一見敬虔に見える礼拝という行為が、実は神を、願いを叶える道具として利用しているだけということが起こりうるからです。そうではなく、神ご自身を求める。それが人が「生きる」ということなのです。
その時に大切なのは、どちらを向いているか。「しかし、人が主に向くならば、覆いは取り去られます」。
悔い改めてキリストの方にはっきりと方向転換をする時に、聖書が、神がはっきりと分かる。それはパウロ自身の体験でした。
主に向くこと。御言葉に向き合い続けること。そこに聖霊が働いてくださり、覆いが取り去られる。そしてキリストに似た者へと変えられます。それは主の霊によります。これを聖化、きよめと呼びます。そもそも人は聖霊の働きがあって主に向くことができます。そして主を信じるときに今度は聖霊が内に住んでくださるのです。
あなたは今どの段階におられるでしょう。まず主に向くことです。主を信じ、自分の内の全ての部屋の扉を開けて聖霊を迎え入れます。聖化という現在進行形の救いがあることを知り、キリストに似ることを求めましょう。主は言われます「私を求めよ、そして生きよ」。
