聖書: マルコによる福音書15:33-39
ナザレのイエスとは何者なのか?使徒パウロはこう言います。「あなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」(1コリ2:2)。十字架にこそ、イエスは救い主キリストであることの本質が現わされているのです。
では聖書は十字架をどう語るのか。福音書はその生々しい苦痛にはどうも興味がないようです。彼らが記録するのは十字架上の7つのことば。
最初に記されたといわれるマルコによる福音書には1つだけが記録されます。「エロイ エロイ レマ、サバクタニ」。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」
敗北宣言にも聞こえるこの言葉は多くの人をつまずかせてきました。しかしこれは十字架の肉体的・精神的苦しみ以上の、神に捨てられる苦しみのことば。真の人となられて本来捨てられるはずの罪人の代わりになられたからこその言葉です。
主イエス・キリストは、人に捨てられ、神にも捨てられました。十字架とはそういうことです。多くの人はそれに躓きます。しかし、それこそが福音。捨てられたキリストは、この朝、私たちの「下」に来てくださり救ってくださるということなのですから。
