2025-6-1『礼拝中に眠った人が』山口紀子牧師

聖書:使徒言行録20:7-12

 一度聴いたら忘れられない話、その一つがここです。7節は初期のキリスト者がいつ礼拝をしていたかを記す、新約聖書の最古の証言。「週の初めの日」つまり彼らは日曜ごとに・定期的に・聖餐にあずかり・説教を聴いていた。今日の私たちの礼拝の原型がここにあります。

 ただ、当時は日曜が休日ではありませんから人々は夜集まっていたようです。しかもパウロは翌日の出発を前に、最後の説教を熱をこめて語ったのでしょう、それは夜中まで続きました。

 このトロアスの教会にエウティコという若者がいました。窓に腰かけていた彼は眠ってしまい、3階から転落死してしまいます。身体に関してはもちろん安全が求められますが、この朝は霊的な面で「安全」はよいことなのかを考えます。

 今まで罪を罪とも思っていなかった私たちが、神の言葉によってそれを照らし出される。御言葉には罪をあらわにする力があります(ヘブライ4:12,13)。古い霊的自分に死ぬ。そして復活のキリストのいのちにあずかり霊的に生き返る。エウティコのように死んで、生きる。礼拝とは、そのような事が起こる場です。ここは慰めの場なのです。 

 電線が等間隔に立てられた電柱によって一定の高さを保つように、私たちの信仰生活も週の初めの日の礼拝という「電柱」に守られます。キリスト者の地上生涯は礼拝から礼拝への歩みです。

目次