2025-6-15『幸せには道がある』山口紀子牧師

聖書:詩編1編

 詩編はその入口で2つの道を提示します。幸いな正しき者の道と悪しき者の道です。前者は主の教え(聖書の言葉)を自分の喜びとし、その教えを昼も夜も唱えます。その意味を思い巡らし、実践してみます。順境のときも、逆境でもそれを続けます。それが幸いの道なのです。
 恩師の先輩は暗唱聖句が得意で節をつけて歌っていたそうです。ある日家が火事になり、まさに焼け落ちんとする時にその歌を口ずさみ、自分を支えたそうです。「神が味方なら、誰が私たちに敵対できますか。私たちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないことがあるでしょうか」(ロマ8:31-32)と。

 そのような人を詩人は流れのほとりに移植された木に例えます。木が自分で動いたのではないように、私たちも一方的な恵みで命の水のほとりに植え替えていただきました。その木は根を張り葉を茂らせ、やがて時が来ると実を結びます。その行いはすべて栄えます。この「栄え」とは十字架の死によって与えられた罪の赦し、永遠のいのちです。

 ところで、人は正しき者と悪しき者にすっぱり分けられるものでしょうか。新共同訳は前者を神に従う人、後者を神に逆らう人と意訳しました。従うか逆らうか、それなら確かにはっきり分かれます。その違いはモミとモミ殻のよう。平時は違いがわかりませんが、ひとたび風が吹けばその違いは明白です。あなたはどちらを選ぶのかと詩人は問いかけます。

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