2025-8-17『教会を通り過ぎる人への福音』山口紀子牧師

聖書:使徒言行録22:1-16

 教会は悩みのある人がいくところだと多くの人が思っているようです。では悩み苦しみがなければ、教会は、イエスさまの福音は必要ないのでしょうか。

 この朝は、パウロの弁明です。エルサレム神殿で扇動された群衆に殺されかけた彼は、暴動鎮圧のために出動したローマ軍によって救い出されます。連行される途中でパウロは群衆に向かって語りかけます。

彼は生粋のユダヤ人であり、当時のユダヤ社会のエリート中のエリート、その熱心ゆえに、神を冒瀆した(と思い込んでいた)イエスとその弟子たちを投獄していました。

転機はそのために出向いたダマスコ途上。それは真昼頃のことでした。クリスマスの夜とは対照的です。あの時は深い闇でした。実に象徴的です。羊飼いは自分たちが闇の中にいると自覚していました。そこに光が照りました。それに対してパウロは真昼にいます。自分こそ光の中を歩んでいると彼は錯覚していましたが、真の光に照らされて復活のキリストに出会い、彼は自分が光ではなく闇の中…自己中心の罪の中にいたことに気づいたのです。自分にはイエス・キリストは必要ないと思っていたけれど、自分にこそ必要だったと気づいたのです。

「あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。光の子として歩みなさい。…すべてのものは光によって明るみに出されて、明らかにされます。明らかにされるものはみな、光だからです。」エフェソの信徒への手紙5:8,13,14

 

目次