2025-10-5『復活こそわが力』山口紀子牧師

聖書:使徒言行録24:10-15,24-27

 カイサリヤに移送されたパウロはその地で総督フェリクスのもと裁判にかけられます。告訴したのはユダヤ教指導者たち。肝はユダヤ人同士の宗教論争ではなくローマ帝国を脅かす人物と思わせることです。弁護士テルティロいわく、パウロは疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こすナザレ人の分派の首謀者。裏を返せばパウロの宣べ伝えるキリストの福音にはそれだけの影響力と人を変える力があるということです。

 それに対しパウロは弁明後に「ただ、このことははっきり申し上げます」と、復活の希望を語りました。

 パウロを立たせているのは復活の希望です。キリストの復活は「眠りに就いた人たちの初穂」(Ⅰコリント15:20)であり、私たちも復活する根拠です。この希望が現在の苦難を耐える力となり、不思議なことに、苦難の中でこそ知る主の恵みがあることを味わい知るのです。

 またこの希望に生きる人は将来の審判があることも知っていますから、神に対し人に対し、良心に責められることのないように常に努めます(24:16)。刹那的な生き方、放縦な生き方は自然とできません。

これが将来の審判の消極的面であれば、積極面は自分たちの労苦が主にあって無駄ではないと知っていること(Ⅰコリント15:58)。この約束があるからこそ、私たちは人事を尽くせるのです。

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