聖書:ヨブ記1:1-3,8-11,20-22
神がいるならなぜこんな苦難にあうのかと私たちは思います。しかし、実はこれは聖書的な問いではありません。聖書は神を信じたら苦難にあわないとは、約束してはいないからです。聖書が語るのは苦難の意味です。
神が善であり、公正な方であるなら、なぜ義人が苦しむのか?それがヨブ記のテーマです。
神の目に正しいとされるヨブは、多くの子孫と財産に恵まれていましたが、一夜にしてそれらを失います。それでも「主は与え、主は奪う。主の名はほめたたえられますように」(1:21)と告白し!さらに健康を損ねてもその唇によって罪を犯しませんでした(2:10)。
ところがそんなヨブでも、3人の友からあなたが罪を犯したのでなければこのような苦難にあうわけがないと責められたときに、自分の正しさは神の正しさを上回るかのように弁明し始めるのです。
興味深いことに、主なる神はヨブの投げつけた疑問には直接お答えになりません。逆に、あなたは知っているのか?私が地の基を据えたときどこにいたのか…と創造のわざの神秘や不思議を次々とあげるのです(38―41章)。
結局のところ、私たちは「神を知らない」ということが問題なのです。この段階では彼の問題は何ひとつ解決していません。しかし神を知ったとき、問題は解消してしまいました。苦難を通してヨブは、神の神たるを知ったのです。
