2026-1-25『安らかに死ねるということ』山口紀子牧師

聖書:ルカによる福音書2:25-38

 シメオンは信仰深い人で、救い主を待ち望んでいました。聖霊はシメオンに、救い主を見るまでは死ぬことはないと語っていました。そのシメオンがとうとうエルサレム神殿で、幼子イエスさまに出会います。「主よ、今こそあなたはお言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。…」。

安らかに死にたいとは、誰もが願うこと。イエス・キリストと出会うとは、安らかに死ねるということなのです。それは「死に方」の安らかさ、ではありません。

逆に、人が安らかに死ねないとしたらその理由は何でしょう。1.過去の後悔と罪悪感。余命宣告を受けた人の多くが死ぬ前に願うのは、あの人に謝りたい、この人に感謝を伝えたいの二つだそうです。イエスさまは私たちの後悔と罪悪感、いえ罪そのものを代りに負い、十字架で贖ってくださいました。

2.現在の責任。家族や仕事、その責任を一身に負い、死ぬに死ねないと私たちは思います。しかしイエスさまがおられるから、御言葉の約束があるから、それを安心して委ねられます。

3.将来の死への恐れと不安。イエス・キリストの十字架と復活は、この死への勝利なのです。主イエス・キリストはあなたの代わりに死ぬほどにあなたを愛しています。その愛を知り、私たちも主を愛します。これは状況に左右されません。だから安らかなのです。

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