聖書:ローマの信徒への手紙4:1-12
私たちは新しいことを身につけようとしたら、見聞きで終わりにせず、実践してみます。クリスチャンも同じです。信じるとは生き方が変わること。ではどのように生きたらよいのか。私たちの教科書は唯一、聖書です。
ロマ書でパウロはまず11章まで教理(神学)を語り、12章からは教理を受けて、だからこのように生きなさいと実践を語ります。教理のトップバッターは「信仰義認」。これが私たちの土台です。ここが揺らいだら建物全体がゆがむのです。
4章では信仰によって義と認められた人の代表として、信仰の父アブラハムを語った後に、パウロはさらにダビデ王を例に挙げます。それも、霊的に研ぎ澄まされたときの彼ではなく、彼の犯した最大の罪を取り上げることで、人は信仰によってなされる善い行いによって義とされるのではないことをダメ押しするのです。
善い行いどころか、人妻を見初めその夫を戦死させてわがものとするような重大な罪を犯した者でさえ、神の前にその罪を認め、ひれ伏し悔い改めるときに、神は罪を覆ってくださるのです。
1-12節にはギリシャ語で「みなされた」を意味する言葉が8度も使われています。本当はそうではないのに、みなしてくださる。人が神によって義とされるとは、そういうことです。割礼の有無も関係ありません。
