2026-6-21『正しさに宿る罪』山口紀子牧師

聖書:ローマの信徒への手紙2:1-16

 パウロは1章後半、真の神を神とせず偶像礼拝に陥り、そこから派生する様々な罪を犯す者たちをばっさりと切ると、今度は断罪する自分の後ろで拍手喝采しているであろうユダヤ人を、返す刀でばっさりと切る。それがこの2章です。

「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はありません。あなたは他人を裁くことによって、自分自身を罪に定めています」(1節)。

 対岸の火事ではなくなりました。ここには神を知っている者の罪、つまり私たちの罪が指摘されます。他の誰かではない「あなた」の問題だと。不正、邪悪、貪欲、…罪が羅列されてきましたが、最後に残る罪がある。正しさの中に宿る罪、すなわち人を裁く罪です。ルカ15章、放蕩息子の兄の怒りがまさにこの、人を裁く罪です。 

しかし、このたとえ話の主役は弟や兄ではなく、父です。この父とは主なる神のこと。「神の豊かな慈愛と忍耐と寛容を軽んじるのですか」。Ⅰコリント13章の愛は、この神の愛。この愛で愛されていることがわかったとき、私たちの傲慢は砕かれ、溶かされます。

正しさは大事です。ただ、自分のことは棚に上げて相手を裁いてしまうのが私たち。裁いていたと気づいてもそれを止められない悲しみ…しかしこの悲しみが私たちを悔い改めに導いてくれます。イエスさまの許に赦しがあります。これが救いです。キリストの十字架の血潮が私たちをきよめてくださいます。

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