聖書: 列王記上8:27-30
本年聖句「人が主に向くならば…」とは、総括すれば「神さまを信じるならば」ということですが、一つひとつを言うこともできます。「祈り」もそのひとつ。祈りとは「人が神に向く」ということです。
イスラエル王国史上、最も国を繁栄させたソロモン王。その背後には2つの祈りがありました。その1つがこの神殿奉献時の祈りです。このハレの日、神への感謝に終始しそうなものですが、ソロモンは違いました。感謝の後に、もし人が罪を犯しても、戦争になっても、あらゆる災いが起きてもこの神殿に向かって…祈るなら、どのような祈りも…あなたは住まいである天でそれを聞いて赦し、答えてください、そう祈るのです。
私たちの地上生涯には、あらゆる困難が予想されます。ソロモンはそれをよく心得ていました。やがてそれらが起こることを。だから祈りを、神に向くことを生活の中心に据えたのです。
ソロモンは後の滅亡と捕囚も予見しています。実際約400年後にそれは実現しました。バビロンに連行されたダニエルは日に三度、エルサレムの方角を向いて祈る祈りの生活を続けています。それはこのソロモンの祈りゆえに、神殿を中心とする生活がイスラエルの民に染みついていたからだと藤本満師は指摘します。この時すでに神殿はありません。もはや祈りの宮は建物ではない。心の中心にある聖なる場所なのです。それは誰にも奪い去られることはありません。
