聖書:マルコによる福音書11:15-19
受難週、エルサレムに入城されたイエスさまが次になされたのが宮きよめです。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」。イスラエルの民のためだけではない、神殿をすべての民、つまり私たちの祈りの家とするためにイエスさまはおいでくださったのです。
私たちにとって「神殿」とは、第一に教会を意味します。では、祈りの家である教会はどのように祈ればよいのか、それが22節以降で語られます。神を信じ、確信をもって祈る祈りです。さらに24節では祈ることと人の罪を赦すこと、自分の罪を神に赦していただくことが結びつけられています。そしてこれは山を動かす祈りと深く結びつくのです。
なぜなら罪や過ち、そしてそこに生じる恨みの思いこそ、私たちの前に最も動かし難い存在としてそびえたつ「山」だからです。
山を動かせるのは私たちではなく、イエスさま。主が十字架の苦しみと死による赦しの恵みによってその山を動かし、私たちに、恨みを乗り越えて新しい交わりを築いていく道を開いてくださったのです。
第二に「神殿」とはキリスト者自身です。私たちが聖霊を宿す神殿なのです(1コリント6:19)。内に住まわれる聖霊を通して、神は私たちを神殿としてふさわしい住まいに造り変えたいと願われます。明け渡してゆくときに、主が宮きよめをしてくださいます。
