聖書:マルコによる福音書16:1-8
エルサレムは十字架刑で殺されたナザレのイエスの話題で持ち切りでした。逮捕から死刑まで1日も経っていない、弟子たちにしてみれば気持ちが追い付かない突然すぎる死。すべては終わりました。弟子たちは恐れ逃げ去ります。ただ、せめてイエスさまのご遺体をきちんと葬って差し上げたい、その一心で二人の女性は安息日の開けた日曜日の早朝、墓へ出かけました。
福音書の中で最初に記されたマルコ。16章の9節以降は2世紀になって加えられたのではないかといわれます。とすると、興味深いことに最古の記録には復活のキリストご自身は登場せず、女性たちの驚きと恐れで終わるのです。なんとリアルな証言でしょうか。復活は私たちの常識を超えているのです。
聖書では一日は日没から始まります。人が何もすることができない夜に神のみわざは始まり、全ては朝に向かいます。十字架の闇から復活の朝へ。
暗い悲しみの夜はすでに明け、キリストは甦りました。しかし女性たちはまだ死の暗闇の中にいます。女性たちは墓をふさぐ石を心配しましたが、来てみるとそれはすでに転がしてありました。石とは何か。常識や固定観念、経験…。その中でも最大の石は死の問題です。「あれほど大きな石」はすでに転がしてありました。
イエス・キリストの復活、これこそがキリスト教の始まりです。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる」ヨハネ11:25
