聖書:ローマの信徒への手紙3:27-31
「人は皆、罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっていますが、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです。」3:23-24
価なしに義とされる、つまりタダです。パウロはそれを聞いた読者が持つであろう疑問を想定し、それに答える形で論述を進めます。
質問1・救いが信仰により、恵みにより与えられるなら、人は何を誇ったらいいのか(誇りはどこにあるのか)?
ーそれは取り去られた。
ユダヤ人はアブラハムの子孫であること、割礼を受けていること、律法が与えられ、守っていることを誇っています。異邦人(われら)も知恵や力を誇っています。そうした余計な誇りを、パウロはひっぺがすのです。そのとき、私たちは自分が誇るものは何ひとつないと気づきます。
質問2・救いの道はユダヤ人と異邦人で異なるのか?
―同じ。ただ、イエス・キリストの贖いによるのです。
質問3・信仰は律法を無効にするのか?
―いや、むしろ確立する。
律法には3つの働きがあります。①罪を自覚させること。②キリストへ導くこと。③規範。律法は義とされる(救われる)ために守るべき義務ではないのです。価なしに救われたことを知る者は、それに応えてふさわしく生きたいと願います。そのときに、律法は規範となるのです。そうして律法は確立されます。
