聖書:ローマの信徒への手紙1:16-17
エヴァンゲリオン、エヴァンジェリスト、世の中でも耳にするこの言葉はギリシャ語で「福音」を意味します。
その「福音」を私は恥としないと使徒パウロは宣言します。裏を返せば多くの人にとって福音は恥だったということです。罪人として十字架で処刑されたキリストを拝むことは愚かなこと、つまずきでした。
当時のローマの状況と今の日本は似ているように思います。クリスチャンは圧倒的少数者です。信仰に対しての理解も薄く、そこで信仰を表明し、伝道することに恐れや不安を覚えることが正直あります。私は福音を恥としないと言えるにはどうしたらよいのでしょう。必要なのはもっと強い信仰、熱心さ、強い意志でしょうか?
パウロはそうは考えません。「福音は…信じる者すべてに救いをもたらす神の力です」。福音そのものの力、全ての人に救いをもたらすほどの絶大な力を、私が本当の意味でわかっていないことが問題なのです。
福音とはイエス・キリスト。その十字架と復活が、救いをもたらします。この福音に「神の義」が啓示されています。
ドイツのマルティン・ルターはこの「神の義」をここから再発見します。この神の義の再発見から宗教改革が起こり、プロテスタント教会が生まれるのです。
神の義、それは私たちを裁く恐ろしい尺度ではありません。神はご自分の義によって罪ある人間を義としてくださった。それが神の義。だから福音なのです、力なのです。
