2026-6-7『自然を観れば、わかるでしょう』山口紀子牧師

聖書:ローマの信徒への手紙1:18-32

 使徒パウロはここで私たちの現実を突きつけます。「不義によって真理を妨げる人間のあらゆる不敬虔と不義に対して、神は天から怒りを現されます」。「不敬虔」と「不義」これが人間の罪の姿です。

 不敬虔とは真の神を神としないことです。ただ、そう言われても、聖書の神を聞いたことがない人は神を知りようがないではないでしょうか?ところがパウロは容赦しません。神さまの永遠の力と神性は、世界の創造以来、被造物を通してはっきりと認められる。だから弁解の余地がないと。

確かに人体や動植物…宇宙の秩序の不思議を私たちは知っています。ところが創造主にまで思いが至らず被造物を拝んでしまう。「不滅の神の栄光を、滅ぶべき人間や鳥や獣や地を這うものなどに似せた像と取り替えた」。それはまさに弁解の余地がない罪なのです 。

神はそうした私たちの罪に対して、天から怒りを現される。神は愛であると同時に罪は罪として罰せずにはおけない義なる神だからです。しかしその神の義は、神の怒りは、私たちを滅ぼそうとしているのではありません。私たちとの関係を正しく築こうとしているのです。

同じくロマ書5章でパウロは再び「不敬虔」との言葉を使います。「キリストは、私たちがまだ弱かった頃、定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。(このことにより)神は私たちに対する愛を示されました。」5:6-8。

目次